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真田丸について



真田丸(さなだまる)とは…1614年慶長19年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が豊臣期大坂城平野口の南に構築した曲輪(出丸)である。

【大阪冬の陣】慶長19年
太閤秀吉は大坂城築城の際、東に猫間川、西に東横堀川、北に天満川と三方が河川に面する天嶮の利があることから城の南にあたる三の丸外に空堀を設けた。慶長19年(1614年)真田幸村公は、手薄な城南へ徳川方が一斉に進攻する事を察知して、わずか一ヶ月余りで偃月城(真田丸)と呼ばれる砦を設け、大坂城から砦まで通じる地下の暗道(抜け穴)を作ったと言い伝えられている。この抜け穴跡が三光宮鎮座の階下に今も残されている。
慶長19年(1614年)11月の冬の陣では鉄砲隊を配置した真田軍が大勝し、その勇名を轟かせた。
同年12月に和議が成立すると、幸村公は一夜の内に砦の全てを本状に運び去るという電光石火の早業で人々を驚かせた。